ビエルサは4バック・2トップから再び信念の3−3−1−3へ   ペケルマンのシステムとは・・・ 


   


ドイツW杯での結論(2006/ 6)

クレスポ・テヴェス  
  サヴィオラ・メッシ

リケルメ
カンビアッソ・'ルチョ' ゴンサレス
マキシ=ロドリゲス
ソリン(C)   マスチェラーノ
ブルディソ・コロッチーニ 
エインセ    
 アジャラ

アボンダンシェリ
 
4−3−1−2
 
 初戦のコート ジ ヴォワール戦の4−2−2−2から変えて、5戦目のドイツ戦までこれが続く。
 特徴は、左はJ=P=ソリンがサイドを駆け上がり(多くは抑えられた)、SBに下がり、右はマキシ=ロドリゲスが前後に動いて2列目からゴールを狙う。ソリンが上がった場合はE=カンビアッソが左サイドをカバー。
 また、コート ジ ヴォワールのディディエ=ドログバ[FW]やオランダのアリエン=ロッベン[FW]など左からの前線突破に備えて右SBにはJ=サネッティを招集せずにCBのN=ブルディソを当てた。より攻撃に出る場合はN=スカローニを起用。
 試合途中で2トップや両SHが位置をコンバードしたりもした。
 FWとDFに人数を割いたために中盤の人材がややキチキチに。
 第3GKのO=ウスタリを除く22名がプレーし、こまめに選手を使い分けた。だが、選手の起用を間違え、采配が悲劇的であったことは明らか・・・。


基本システムその五(2006/ 3/ 1)

テヴェス → アイマール

クレスポ(C)
→ D=ミリート
メッシ

リケルメ
カンビアッソ   
   デミチェリス
サムエル         
         ポンシオ
ブルディソ    
 コロッチーニ →L=ゴンサレス

アボンダンシェリ
 
4−2−1−3
 
 ドイツW杯 本大会を3ヵ月後に控えながらペケルマンの試行錯誤は続く。サイド アタックを常套とするクロアチアとの一戦。再び4バックに戻し、オプションの4−2−2−2の攻撃陣を3トップにしてテスト。この後2−2でも、センターはH=クレスポで、左にC=テヴェス、右にマキシ=ロドリゲスやL=メッシ、あるいは左にJ=P=ソリンがトップまで上がってセンターにクロスを上げるなど、センターと左右からのアタックが定着する。テヴェスはサイドに置いても相手DFをかき回すだけでゴールが遠いが・・・。
 やや前後に位置する2ボランチはW杯の序盤まで続く。可変式にソリンが中盤に位置すれば3−3−1−3。
 また、この形はサイドが弱く、サイド アタックをよくするクロアチアを相手にこの形を組んだ意味が分からない。
 この試合では守備の要となる3人、CBのR=アジャラとG=エインセ、(右)ボランチのJ=マスチェラーノがまだ長期の負傷から復帰していない。


基本システムその四(2005/ 6/15 〜)

サヴィオラ → テヴェス  
    ガジェッティ
リケルメ    
 マキシ=ロドリゲス
ソリン(C)→ サネッティ
  サンタナ
ベルナルディ
エインセ     

コロッチーニ
   G=ロドリゲス

ルクス
 
3−3−2−2
 
 変遷を重ねるシステムはビエルサ監督時代に逆戻り。この形は前のフォーメーションが初登場した一週間後のコンフェデレーションズカップ 2005 ドイツ大会の緒戦チュニジア戦(2005/ 6/15)でお目見えし、以後しばしば使用。中盤のサイドが補強された形で、J=P=ソリンが左サイドに退くと4−2−2−2に。J=R=リケルメはセンター寄りにいたり相手のマークをかわして大きく左サイドに開いたり、同じトップ下の選手との組み合わせで右に位置することもある。1999 ワールドユース選手権ナイジェリア大会での組み合わせであるP=アイマール(右)とのペアに期待する声が大きいが、アタックのコマが減るためペケルマン好みではなく(両選手はスタイルが異なるためよい組み合わせと発言したこともあるが)、僅かにテストされたのみ。
 とにかく、試合ごとに、試合中にもシステムやポジション・選手を無用に変えるため、ドイツW杯 本大会出場を決めて以降、チームが全く不安定になって、各数字も悪化。


基本システムその三は3バック(2005/ 6/ 8 〜)

クレスポ    
  サヴィオラ → テヴェス

リケルメ
'キリ' ゴンサレス      
   L=ゴンサレス → サネッティ
ソリン(C)  
 マスチェラーノ
エインセ     

アジャラ
    コロッチーニ

アボンダンシェリ
 
3−4−1−2
 
 2006 W杯南米予選の大一番、第15節エル モヌメンタルでのブラジル戦(2005/ 6/ 8)で登場。以後、ドイツW杯の手前まで最も使用される。M=ビエルサ監督の時代からブラジル戦は後ろをガッチリを固めた3バックで通しており、このシステムではそれにダブル ボランチの右のJ=マスチェラーノ(L=ゴンサレス、ほか)が退いて守りのリベロとして加わる。J=P=ソリンが左サイドに退いて4バック(4−4−2の中盤ダイヤモンド型)にも変更可能で、3か4か判別つかない場合も多い。ソリンは状況に応じて動く。攻撃面ではJ=R=リケルメの前と左右にアタッカー4人を確保できる。攻守の配置バランスが良い。だが、中盤のサイドがやや手薄で、ペケルマン流にセンターで勝負するシステムと言える。


急遽 切り替えたベーシックなシステム(2004/11/17 〜)

フィゲロア   
C=デルガド → サヴィオラ
ソラーリ → L=ゴンサレス    
       リケルメ
カンビアッソ → プラセンテ
 マスチェラーノ
ソリン(C)        
         サネッティ
G=ミリート    
   G=ロドリゲス

アボンダンシェリ
 
4−2−2−2
 
 「調子のよい選手を優先した」として急きょ南米で一般的な4−2−2−2へ。ボランチから前の5・6人がロール フリーで連携して動いてボールを細かくつなぎ、一方で相手DFを引きつけたりしてゴール前にスペースを作ってはJ=R=リケルメなどがボールを出し、いずれかが走り込んでフィニッシュ。サイドからの攻め上がりでも人的優位を確保。両SBの飛び出しもフリー。守備では、退き気味にエリアで動く守備的ボランチ(J=マスチェラーノ)がDFと連携。
 以後、ヨーロッパ勢との親善試合ではほとんどこのシステムを使う。


形と共に練り上げが求められるユニット(2004/10/13)

フィゲロア → テヴェス  
サヴィオラ → ダレッサンドロ
 
リケルメ
ソリン(C)
L=ゴンサレス → マスチェラーノ
エインセ   
カンビアッソ    サネッティ
サムエル  
    コロッチーニ

アボンダンシェリ
 
4−3−1−2に近い3−4−1−2
 
 さて、J=ペケルマン監督のサッカーは・・・上は2戦目となる 2006 W杯南米予選 第10節チリ戦(2004/10/13)のフォーメーション。中盤の4人が前後して開き、SHなのかボランチなのか、L=ゴンサレスが前がかりに攻撃陣に加わって、左ボランチのE=カンビアッソは退いてもっぱらボールを送る。M=ビエルサ監督と同様のかなり攻撃敵な布陣だが、前節ウルグアイ戦で成功した細かなパスをつないでのセンター突破は次々 弾かれ、僅かにサイド突破からチャンスを作るのみ。課題となっている退いた固い守りをこじ開けるスベは、練度の高い連携による速攻・展開、とビエルサ最後のコパ アメリカ 2004・アテネ五輪で確認された筈。ともあれ、ペケルマンのお手並みは強豪とのハード マッチが続く来年 2005 年から。
 選手の多くはユース時代の“ペケルマン ボーイズ”で、招集はひとまずこれまでのメンバーを踏襲。
 初戦の第9節ペルー戦(2004/10/ 9)は3−3−2−2に近い。
 




超々攻撃型の4バック・3トップへ(2004/ 3/30 〜)

CF
LF               RF
OH-    
    OH-R
LB    
CH
    RB
CB-L     
     CB-R

GK

4−3−3
 
 M=ビエルサ監督の試行錯誤が続く。4バックのまま、1トップ気味の3トップへ(サイド攻撃には中途半端だった2トップを修正し、トップ下にA=ダレッサンドロ・P=アイマールを共存)。試合終盤には点を採りに行く選手を総投入する実質5トップにして、互いに所を変えてゴールを狙うウルトラ スーパー オフェンシヴに。準優勝したコパ アメリカ 2004 ペルー大会(2004/ 7/ 6 〜 7/25)はこのフォーメーションで通し(決勝ブラジル戦を除く)、内容・結果を残す。ビエルサが追求する超攻撃的サッカーの集大成か。2006 W杯南米予選 第5節エクアドル戦(2004/ 3/30)で初お目見え。
 2006 W杯南米予選・コパ アメリカ 2004 決勝の2度のブラジル戦(共に負け)、それとコパ アメリカ 2004 のメンバーで戦ったアテネ五輪では旧来の3−3−1−3に戻した(LBがLHに上がって3−3−1−3に)。
 アテネではC=テヴェスら攻撃陣にはお互いの連携を考えるようにとの指示があっただけで、攻撃場面では自由にプレーさせている。


さらに4バックが登場(2003/11/19 〜)

LF    
    RF

OH
LH
RH
LB     
CH
     RB
CB-L     
     CB-R
  
GK 

4−3−1−2
 
 今度は守備の改良に着手して、4バックが初お目見え。ウイングを廃した次の試合の 2006 W杯南米予選 第4節コロンビア戦(2003/11/19)で。
 これは信奉するサイド攻撃の組み立てを徹底追求してみたものか、どのようなサッカーを目指したものか。攻撃面ではSBの攻め上がりによりSHがこれまで以上に前面に解放されてフィニッシュ ワークに直接 参加する。ただ、引き続きサイド突破重視であれば2トップは中途半端であり、また、1トップ下にはP=アイマールやA=ダレッサンドロなどが争い合うことに。守備では、W=サムエルとR=アジャラのCBコンビが脅威的。結果も出ず、なおテスト段階。
 ポジション=役割、的な考え方に変化の兆し → 前線はロール フリーに。
 最終目標は 2006 W杯優勝。1998 W杯前からを含むレギュラーと若い才能との融合も徐々に進める。


遂にウイングを外し、2トップ・2トップ下へ(2003/ 8/20 〜)

LF     
     RF
OH-L     
     OH-R
LH   
   RH
CH
LB      

CB
      RB

GK

3−3−2−2
 
 悪夢の 2002 W杯グループ リーグ敗退から1年余、M=ビエルサ監督がようやくシステムの改良に踏み出した。こだわってきたウイングを外し、それまでの3トップと1トップ下を反時計回りに数十度 回転させて、2トップ・2トップ下に。これにより、トップ下のA=ダレッサンドロ(左)とP=アイマール(右)のファンタジスタ コンビが前線の展開に広がりがもたらした。だが、ダレッサンドロは常に左に大きく開き、トップの右のJ=サヴィオラもしばしばウイングに張るなど、サイド攻撃自体は手放していない様子ながら、明らかにフィニッシュのコマが足りない。ハッキリした戦略が見えず、テスト段階であることは確か。
 このフォーメーションは 2006 W杯南米予選直前のウルグアイ戦(2003/ 8/20 フィレンツェ)の後半に登場し、以後しばしば使われる。


la Seleccion Nacional
■以下は、新システム後の招集メンバーとポジション。国内組代表(U−23)は含めず。
太字は 2002 W杯メンバー。
メイン ポジションで分類。( )は目立ったオプション パターン。
 このフォーメーション上、選手も本来 得意とするポジションからやや外れる。
 サヴィオラはゴール前に固定されるより1.5列目で動きながらゴールを狙うのを好む。D=ミリートは所属するラシン クラブでは前線の左サイドでゴールを量産。ダレッサンドロは前線の割と左サイドの位置取りを指示されているが、ファンタスティックな持ち味が半減。左サイドから多分にゴールを狙うキリの位置はやや後退し、ソリンも同様。ヴェロンは 2002 W杯後はトップ下からボランチにシフトしつつある。一方、クレスポは代表でもクラブ(インテル・チェルシー)でも2トップの左を務める。
 ヴィヴァスは現役引退を表明(2003/10)。
Postiion
Name
TD
 Marcelo BIELSA[AFA]
FW
LF
 Hernan CRESPO  Javier SAVIOLA  Claudio LOPEZ  Santiago SOLARI(LH)
RF
 Cesar DELGADO  Diego MILITO(LF)  Luciano GALLETTI
MF
L-Enganche
 Andrez D'ALESSANDRO
R-Enganche
 Pablo AIMAR  Luis GONZALEZ
Volante
 Juan Sebastian VERON  Matias ALMAYDA  Esteban CAMBIASSO
LH
 Cristian'Kily'GONZALEZ  Juan Pablo SORIN
RH
 Javier ZANETTI
DF
CB
 Roberto AYALA
LB
 Walter SAMUEL  Diego PLACENTE  Gabriel HEINZE
RB
 Nelson VIVAS[retire]  Facundo QUIROGA  Daniel DIAZ
GK
 Pablo CAVALLERO  Leonardo FRANCO
 









旧来のフォーメーション


CF
LF                 RF

OH
LH   
   RH
CH
LB      

CB
      RB

GK

3−3−1−3
 
 M=ビエルサ監督はサイドからの早い攻め上がりで機先を制し、圧倒的なプレッシングで攻め立てるヨーロッパ スタイル(オランダ スタイル)の超攻撃的サッカーを信奉。形としては今やほとんど姿を消した両ウイング(時に片ウイング)を張ることに長らく固執し、センターにはCFからGKまで5人が並んでそれぞれサイドの状況に対応した。ただ、相手関係なしの固定したフォーメーションには選手交代と多少のポジション変更があるだけで、この形は戦術のパターンと共に世界に研究し尽くされた。
 2002 W杯前後のこのチームはタレントを擁する“元気な左”からしばしば攻撃が展開され、駆け上がっての豪快なミドル シュートや左右・センター総掛かりの波状攻撃が見ものだった。
 アテネ五輪の全試合は再びこのフォーメーションに戻して臨んだが、C=テヴェス・A=ダレッサンドロ・L=ゴンサレスらの前線はポジションの縛りを解かれ、目まぐるしく位置を変えてゴールを狙っていった。
 

la Seleccion Nacional
以下は、2002 W杯代表と、同W杯以降の公式戦に出場したメンバー。
 国内組代表(U−23)・引退表明した選手は含めず。

太字は 2002 W杯メンバー。▲は 2002 W杯以降キャップなし。
メイン ポジションで分類。( )は目立ったオプション パターン。
 2002 W杯に出場したメンバーでは、代表引退組を除けば、ポチェティーノが代表から遠ざかっている。
Position
Name
TD
 Marcelo BIELSA[AFA]
FW
CF
 Hernan CRESPO  Javier SAVIOLA  Santiago SOLARI(LH)  Bernardo ROMEO
LF
 Claudio LOPEZ(CF)  Cristian'Kily'GONZALEZ(LH)
 Gustavo LOPEZ(RF)
  Lionel SCALONI  Maximiliano RODRIGUEZ
RF
 Ariel ORTEGA  Diego MILITO   Luis GONZALEZ  Luciano GALLETTI
MF
Enganche
 Juan Sebastian VERON(ボランチ)  Pablo AIMAR  Marcelo GALLARDO(RF)
 Andrez D'ALESSANDRO  Juan Roman RIQUELME(R)
LH
 Juan Pablo SOLIN  Gabriel HEINZE
RH
 Javier ZANETTI(L)  Lucas CASTROMAN  ▲Claudio HUSAIN
Volante
 Matias ALMAYDA  Esteban CAMBIASSO
DF
CB
 Roberto AYALA  Fabricio COLOCCINI
LB
 Walter SAMUEL(CB)  Diego PLACENTE  Jose CHAMOT
RB
 Facundo QUIROGA  MauricioPOCHETTINO
GK
 Pablo CAVALLERO  ▲Roberto BONANO


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